アクタス誕生のきっかけ。

朝日新聞・全15段広告
オープンして間もない頃の「青山さるん」の
朝日新聞・全15段広告。
アートディレクターは村越襄氏。40年後のいま見ても
デザインの完成度は高い。ちなみに、メインビジュアルに
使われたこの「ストリングチェア」は、今も作り続けられている。

北欧に一週間滞在した湯川氏は、帰国後社内向けの出張報告会を行いましたが、そもそもカメラも持っていかず、おまけに買い付けした商品の控えもなし。社員たちは何がやってくるのか全くわからない。ただ、「とにかく素晴らしい国の、素晴らしい商品がやってくる」という社長の熱意だけは伝わってきました。
その後、ようやく届いた商品は湯川氏の熱意も納得できる、価格もデザインも見たことのないものばかり。今の貨幣価値に換算すると一脚200万円のリクライニングチェアもあったといいます。それらの商品はオーストラリア館を再現した豊中の総合家具センターの「第一回ノルウェー家具展」と銘打ったフェアでお披露目されました。このときのお客様第一号は子供服「ファミリア」の社長だったそうです。この買い付けを機に、湯川家具は新たなステップを踏み出しました。 またその頃、湯川家具には上杉典子さんというブレーンがいました。上杉さんは、グラフィックデザイナー・田中一光氏が師事したことで知られる前衛美術家、吉原治郎氏の美術館のキューレーターで、田中一光氏のほかに、小池一子さん、三宅一生氏、山本寛斎氏といったファッションや芸術方面に幅広い人脈を持っていました。 湯川家具は彼女にフェアのアートコーディネイトをお願いしており、それは主に壁面を使った演出でしたが、大阪にモダンアートを鑑賞できる美術館がないことに疑問を抱いていた上杉さんは、アーティストの作品を展示するジョイント企画を開催。今でこそインテリアとアートは密接なつながりを持っていますが、60年代当時に巨大なチューブから泡が吹き出ているといったモダンアートをヨーロッパ家具と組み合わせたというのですから、世界的にも最先端をいく展示だったのではないでしょうか。 さらに驚くべきフェアも開催。その頃は、まだヨーロッパ家具と並行して現実的な売上の主軸として、従来からの婚礼家具も販売していましたが、社員は婚礼家具の未来に疑問を抱いていました。 そんな時に大阪ロイヤルホテルの大広間を貸し切って婚礼家具フェアを開催することになったのです。この先衰退するであろう婚礼家具をどのようにアピールしたらよいかわからないと悩んだ社員は、上杉さんの知人であるライフスタイルプロデューサーの浜野安宏氏に相談をしました。すると浜野氏は、「婚礼家具を否定するフェアにしよう!」と言ったのです。

田中一光
1930年・奈良県生まれ。
昭和

ラフィックデザイナーとして活躍した。グラフィックデザイン、広告の他、デザイナーとして日本のデザイン界に大きな影響を与えた。

吉原治郎
戦前における前衛美術の草分けであり、また戦後には大阪の具体美術協会の代表として大きな足跡を残したアーティスト。

小池一子
クリエイティブディレクター、ファッション史研究者、キュレーター、翻訳家。1980年の「無印良品」の創設にも田中一光とともに参加。

浜野安弘
1941年・京都府生まれ。
「人生とは常に変化し移動し続けるもの」をポリシーに、常に時代の先端を走り続け、世の中のニーズに先駆けたライフスタイルを提供してきたプロデューサー。

先進的な湯川家具が、ヨーロッパの輸入家具を取り扱い始めた頃の広告。

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