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バウハウスとテクタの
名作家具展
- 会 期
- 2025年2月22日(土) ~
4月20日(日)[ 11:00 – 21:00 ※日曜日・祝日は 20:00 まで ] - 会 場
- アクタス・丸の内店東京都千代田区丸の内1-5-1 新丸の内ビルディング3F
- 入 場
- 無料
わずか14年間(1919~1933)という短い期間でありながら、
現在の建築・工業デザインの礎を築き、いまもなお影響を与えるドイツの芸術学校〈バウハウス〉。
バウハウスに魅了され、そのデザイン思想を現代に受け継ぐ
稀有なファニチャーブランド〈TECTA〉の企画展を開催いたします。
「バウハウスとテクタの名作家具展」
限定のイベントグッズを
ご用意しました
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オブジェとしても販売しているTECTA CATを
モチーフにしたトートバッグTOTE BAG / ¥5,500 tax in. -
ロゴとTECTA CATを
プリントしたマグMUG / ¥1,760 tax in. -
猫とテクタの家具コレクションをイラストにした
オリジナルステッカー ( 9枚入 / 3種 )STICKER / ¥1,980 tax in.
※イベント限定グッズは、店頭販売のみとなります



バウハウス・デザインの
正当な後継者“TECTA”
バウハウスは、1919年に建築家ワルター・グロピウスが中心となってドイツのワイマールに設立した美術と建築の総合教育機関〈バウハウス〉。彼が目指したのは、教師と生徒がデザインスタジオやワークショップで一緒に技術を追求すること、そして芸術を総合的にとらえることでした。絵画の学校、彫刻の学校、建築の学校を持つのではなく、すべての芸術を同じ屋根の下に置き、互いに影響し合えるようにしようと考えたのです。
1925年、ワイマール校は閉鎖を余儀なくされ、校舎をデッサウに移転しました。初期のバウハウスの教育方針を築いたワイマールでは、合理主義・機能主義的な考えと表現主義的な考えで、芸術に対する急進的なアプローチが定義されましたが、デッサウでは、今日私たちが知っている「形態は機能に従う」という、徹底した機能主義を方針とするバウハウス理念が完成しました。2025年は、その理念が誕生した100年という記念すべき年でもあります。
バウハウスは当時のナチス・ドイツの弾圧によって1933年に閉校となり、学校として存続したのはわずか14年間でしたが、ここから数多くの家具が生み出されました。そうした家具に並々ならぬ興味を抱いたのが、東ドイツ出身の〈TECTA〉の創業者、アクセル・ブロッホイザーでした。バウハウスに傾倒する彼は、当時の東ドイツ政府にとって危険な個人思想家と捉えられ、西ドイツに亡命をします。
1972年にドイツ中部にある街、ローウェンホルデにTECTAを設立し、バウハウス の家具製造の権利を譲り受けて、自身の工場で次々と復刻。現在は椅子、テーブル、ソファなど約20点のバウハウス公認コレクションを製造するとともに、バウハウスの機能的なデザイン思想を継承した数々のオリジナルプロダクトを発表し続ける、稀有なマニファクチャーとして、その魅力を世界中に広めています。

- プルーヴェが実現できなかった
チェアの直筆スケッチと、
TECTAが製品化した
そのチェアを展示


旧東ドイツの出身であるTECTAの創始者<アクセル・ブロッホイザー>は、バウハウスのデザインに魅了され、西ドイツに亡命し、同社を1972年に設立します。そして、バウハウスとともに尊敬の念を抱き続け、師と崇めていたのがフランスの奇才デザイナー、ジャン・プルーヴェです。
プルーヴェが実現できなかったイージーチェア<D80>の一枚のスケッチを元に、ブロッホイザーが具現化したことから彼らの親交が深まりました。バウハウスから誕生し、TECTAのシグニチャーのひとつであるカンチレバーチェアの構造強化へのアドバイス(後に「チューブアプラティ」として特許を取得)や、ベストセラーアイテムであるM21テーブルの不定形ラインの天板のデザインをしました。晩年までプルーヴェはTECTAにはなくてはならない存在となりました。
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ブロホイザーが具現化したD80。
今回の展示品と張地は異なります。 -
SIZE / W175 D137 H75cm
プルーヴェがデザインしたM21の天板。一辺は直線ですが、残る三辺はそれぞれに異なる曲線を描いています。この不定形なラインで座る人数を限定しない形状は、微妙な視線のズレでさまざまなシーンに対応し、心地よい距離感をもたらしてくれます。
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マルセル・ブロイヤーが1928年にデザインしたカンティレバー構造の「D40」。多くのカンティレバーチェアの中でも、アームからレッグヘと弧を描きながら繋がっていく美しい曲線が特徴。
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アクセル・ブロッホイザー1943 –
テクタのオーナであるブロッホイザー氏は、第二次世界大戦後、当時の東ドイツ政府の弾圧により工場を奪われ、西ドイツのローウェンフォルデへと亡命を果たします。バウハウスの精神を今日の私たちへと伝え続けている彼のことを、人は「バウハウス、最後の目撃者」と敬意を込めて、そう呼んでいます。
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ジャン・プルーヴェ1901 – 1984
数々の名作を生み出した、フランスを代表する建築家。ブロッホイザー氏とは十数年にわたり協業を重ねました。「素材」が何を語りかけてくるかをよく聞くことが重要という信念を持ち、テクタが数多くのカンティレバーチェアを作りだすきっかけとなる「チューブ・アプラティ」の技術をもたらしました。
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ジャン・プルーヴェがブロッホイザーにヒントを与えて完成に至った「チューブ・アプラティ」。レッグの角のスチールパイプを平らに潰すというだけのシンプルな加工によって、レッグの強度を上げることに成功。これによりテクタは、バウハウスの活動当時には実現できなかった家具も製品化できるようになりました。※チューブ・アプラティはテクタの特許技術です。
バウハウス・
オリジナルコレクションが集結
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- TECTAはバウハウスから誕生した家具を、現在もなお、最も多くのコレクションを作り続けているブランドです。
今回の企画展では、TECTAが作るヴァルター・グロピウス、ミース・ファン・デル・ローエ、マルセル・ブロイヤーといった
バウハウスを代表するデザイナーの名作コレクションとともに、バウハウスのデザイン思想から着想を得て現在に継承する
オリジナルコレクションが一堂に集結いたします。
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バウハウス初代校長を務めた
ヴァルター・グロピウスが
自身の校長室用にデザインした
アームチェア。-
ヴァルター・グロピウス1883 – 1969
1919年、世界初の総合芸術学校バウハウスを創設し、1928年まで初代校長を務めました。アーティストが創造する「芸術」と、職人の領域であった「技術」の統合を唱えた彼は、「造形は機能に従うものであり、国境を越え、世界的に統一された様式」を主張しました。
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バウハウス最後の校長、
ミース・ファン・デル・ローエが
デザインした
カンティレバーチェアの傑作。-
ミース・ファン・デル・ローエ1886 – 1969
バウハウス3代目校長として、1930年の就任からナチスの弾圧によって閉校になる1933年までの最後の3年間、校長を務めました。1937年アメリカに亡命した後、「インターナショナル・スタイル」の代表者として成功を収めました。
グロピウス、フランク・ロイド・ライト、ル・コルビュジエとともに、近代建築の4大巨匠として知られています。
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バウハウスで学んだ
マルセル・ブロイヤーによる、
ワシリーチェアの折りたたみモデル。-
マルセル・ブロイヤー1902 – 1982
バウハウスの一期生。1920年からバウハウスの家具工房で学び、後に同校のマイスターとして教授を務めたバウハウスの中心人物。世界で初めてスチールパイプを使ったイスを発表し、材料、生産にかかる時間とコストなど全ての面において最善の方法を模索。バウハウス時代に数多くの作品を残し、渡米してからは建築家としても活躍。
《 特別企画 》
『もし現代にバウハウス芸術学校が蘇ったら…』というテーマのもと、
TECTAのプロダクトをトップインテリアスタイリストの作原文子氏がアクタス・丸の内店の一画をスタイリングいたします。
100年の時を経ても、デザインへの影響を与え続け、色褪せず現代の空間にもマッチするバウハウスのプロダクトと、
バウハウス初代校長のヴァルター・グロピウスの執務室からインスピレーションを受けて表現する
『現代に蘇ったバウハウス校長室』の世界観を合わせてご紹介いたします。
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バウハウス初代校長
ヴァルター・グロピウス -
バウハウス出身の
ヘルベルト・バイヤーによる
グロピウスの執務室の
アクソノメトリック(不等角投影図) -
バウハウス・ワイマールの
グロピウスの執務室
《 ポスター特別展示 》
本企画展では、BAUHAUSを含めたモダニズム建築関連の海外ポスターを
現地から直輸入し販売しているオンラインポスターショップ「特殊ポスターショップSOONER OR LATER」のご協力で
同店にセレクトしていただいた、BAUHAUSデッサウ財団公式ポスターを特別展示いたします。