合い言葉は「Kobe Tomorrow」

写真

震災により完全に崩壊したアクタス・六甲店。
写真にはないが、六甲店の目の前を走っていた阪神高速道路も崩れ落ちた。

なくなってしまったことで、これまでアクタスが培ってきたことと存在意義が明確になり、それがありがたい支援という形となって、六甲店の臨時仮設店舗が出来上がったのです。
また、震災の8ヵ月後に六甲アイランドにある800坪のホールで行った特設セールは、わずか4日間で来場者数2万5千名、売上額1億3500万円という記録的な結果で終了。もちろん、震災を体験したスタッフにはそれぞれ複雑な思いや葛藤がありました。しかし、前進することだけに気持ちと力が注がれ、その場にはとてつもないエネルギーが溢れていたといいます。アクタスで最も心に残っている仕事として、大重亨氏がそのときのことを語ります。
「被災の中心地で行うセールに、果たしてお客様は来てくださるのか、またどれほどの人がアクタスの広告に反応してくれるのかと不安だらけでしたが、初日の朝から500名以上のお客様が並ばれ、予想をはるかに上回る反響でした。早朝の肌寒い風が吹く中、外でお客様が並ばれている初日の状況を見て、次の日からは朝6時にコンビニで温かい飲み物を買ってきて、お客様一人一人にそれを配っていた西さん。あまりにもご来場者が多すぎて、入場制限をしていましたので、お待ちいただいている最後尾のお客様まで一人一人に丁寧にお詫びをしていた西山さん。当時は卸し部門の責任者でしたが、休日にもかかわらず、一生懸命お持ち帰り用の梱包をしていた休山さん。また、震災後の特殊な状況下でこのセールをはじめとした復興プロジェクトを必死に仕切っていた福本さん」。
こういった責任者たちの姿を見て何かを感じたスタッフは多かったと思いますし、間違いなくその会場にいたアクタスの全スタッフを突き動かしていたのは、まだ完全に交通手段は復旧していない状況で、しかもご自身も何らかの被害を受けながらもこうしてご来場いただいている、すべてのお客様への感謝の気持ちだったと思います。

バッチ

阪神淡路大震災直後から、アクタスのスタッフ全員が身につけ、こどもたちにも配ったバッチ。

震災直後に六甲アイラインドのホールで開催したセールに並ぶ人々。4日間とも朝から閉店間近まで入場制限をするほど。

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